今回の縁切りコラムは、「友達がいない人生を積極的に肯定する方法」を、縁切寺のzyusyokuがお伝えいたします。
まずは、友達について、おさらいしてみましょう。
友達(ともだち)
勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。
(引用元:wikipedia ウィキペディア)
つまり、同じ目標を持っている、同じ趣味を持っている、同じ気持ちを共有している、そして、損得や勝負けを超越した同じ立場の人間ということです。
確かに、同じ何かを共有しているからこそ、一緒にいて時間が充実して楽しいわけです。
損得や勝負けがない理由は、相手を尊重し理解し認めているからであり、相手もまた、あなたを尊重し理解し認めているからです。
相手はあなた自身であり、あなたは相手そのものなのです。鏡に映った自分、それが友達なのです。
なので、友達をいじめれば、あなたの心も傷つきます。友達があなたをいじめれば、友達の心も傷つきます。
このような相手を友達というのでしょう。
ここで、友達を英語で表現すると、どのような表現になるか、いくつかご紹介します。
友達 friend
仲の良い友達 good friend
特別に仲の良い友達 best friend
付き合いの長い友人 old friend
いかがでしょうか。外国でも友達の種類やレベルがいろいろあるのですね。
日本でも、友達と一口にいっても、幼友達、茶飲み友達、親友、酒友、釣友、飲み友達、ママ友・・・たくさんあります。
今回のテーマは、「友達がいない人生を積極的に肯定する方法」ですが、「友達」はいろいろな友達ということでお話しを進めていきたいと思います。
人は常に孤独です。昨今、日本は核家族化に続き、家族の孤立化が進んでいます。家族であっても協力しながら助け合いながら生活することがなくなりました。一人で生活していても困ることがありません。物はお金を出せば買えます。家事さえも、お金を出せば誰かがやってくれます。買い物も通販で家まで届けてくれます。家族に依存しなくても、お金さえあれば生活できる世の中なのです。
家族に依存しないで生活しているのに、なぜ他人に依存しなければならないのでしょうか。他人に何かを依存するとかえって面倒臭い、何かをお願いするにもお願いがしずらい、かえって高くつきそう、などと考える人は多いのはないでしょうか。
さみしいことです。一人で生活はできるものの、誰を頼ることもなく、誰に頼られることもないのです。気持ちは楽ですが、気持ちが満たされることはないでしょう。
物事は何でも「対」です。
例えば、白と黒、上と下、左と右、南と北、東と西、男と女、凹と凸、寒と暖、浮と沈、 表と裏、攻と守、生と死、新と旧、昼と夜、光と影、苦と楽、濃と淡、入口と出口、彼岸と此岸、地獄と浄土、戦争と平和、干潮と満潮・・・などです。
「対」なので、どちらかがあれば、片方も同時に存在するのです。
例えば、生と死。生だけの人はいません。不死の人はいないのです。 苦と楽も同様です。毎日、勉強していて「苦」が多いかもしれないけれど、その「苦」を乗り越えれば、必ず「楽」が訪れるのです。「楽」のない「苦」など存在しないのです。逆に、「苦」がやってこない「楽」もないのです。友達とずっと楽しくワイワイ遊んで、さよならして一人ぼっちになった瞬間の「苦」を感じたことはないでしょうか。
縁切りの神様は、みんなの心が清らかでいることを願っています。
友達がいると必ず一喜一憂してしまいます。友達と遊んで楽しかった!でも、別れたら急に寂しくなった!友達とけんかしたらムカムカした!でも、翌日仲直りしたら、気持ちがスッキリした!
友達がいないから友達が欲しい!でも、友達がなかなかできない、つらい、くるしい!
友達はあなたの心のなかをグチャグチャにしてしまいます。友達が欲しいと思っただけでも、苦しみを感じてしまうのです。
お釈迦様は常に一人で修行していました。でも、孤独ではなかったのです。いつもお釈迦様のまわりには人が動物が集まってきたのです。
人でなくてもいいのです。動物でも、虫でも、草木でもいいのです。命あるものと接していれば、心が豊かになれるのです。
友達は人だけではありません。命あるものがすべて友達になりうるのです。と、縁切りの神様がおっしゃっております。