悪いものと縁を切りたい!…けど、罪悪感にさいなまれてしまう…良心の呵責(かしゃく)を感じてしまう…という人は多いと思います。
そのような罪悪感が必要かどうか、縁切寺のzyusyokuがお教えいたします。
縁切りのお申し込みをされている方とお話しをすると、大抵の方は罪悪感を感じているようです。
相手がすべて悪いわけではない・・・
自分にも非があるのだが・・・
縁切りをして、相手が病気にでもなったらどうしよう・・・
そもそも、こういうことを神様にお願いしていいのだろうか・・・
良心の呵責(かしゃく)はやみそうもありません。
おそらく、縁切寺本光寺にお越しになる際も、長い長い時間をかけて、自問自答し、罪悪感と葛藤したことと思います。
縁切りをお願いすると、自分の品位が下がってしまう・・・
縁切りをお願いすると、自分も相手と一緒の人間になってしまう・・・
縁切りをお願いすると、自分は地獄に堕ちてしまうのではないか・・・
相手に向いていた矛先が、だんだんと自分に向き始め、最後には自分を責めてしまうのが、縁切りの特徴でもございます。
さて、罪悪感を持つことは必要か・・・、結論から言うと、必要です。
今回の縁切りは、少なからず、あなたにも原因があるのです。
たとえ、あなたに身に覚えがなくても、原因があるのです。
そのことには触れずに、相手だけを責めるのは、人間的にも、仏教的にもよくありません。
まずは、その原因をよく分析し、自分にも良くない点があったということであれば、素直に反省しましょう。
そして、できることならば、今の素直な気持ちを相手に伝えて謝罪しましょう。
にもかかわらず、相手からの嫌がらせやいじめ、悪意ある言動が続くのであれば、縁切りの神様にお願いしましょう。
この縁切りに至るプロセスにおいて、あなたがしっかりと自分と向き合い、自分の非を認め、反省し、相手に素直にごめんなさいをしたのであれば、縁切りの神様はしっかりとあなたの気持ちを受け止め、サポートしてくれるでしょう。
つまり、「罪悪感 = 自分を見つめなおす貴重な時間」なのです。
日々の生活の中で、自分を見失っている方は多いと思います。
先生と呼ばれている方々、社会のなかでそれなりの地位にある方々、年齢を重ねてこられた方々、人生経験が豊富な方々など、自分が正しいと思い込んでいる方々は、とくにそうです。
自分が正しいと主張することよりも、自分は間違っていたと反省することのほうが、人間として、大人として重要なことです。
自分は正しいと思い込んでいる方の縁切りは、おそらく、縁切りの神様も聞き入れてくれないでしょう。逆に、帰ってください、と言われていることでしょう。
罪悪感を感じているあなた、いいのですよ。安心してください。