日本はやめる、終わる、別れる、諦めると言った、クロージングに向ける視線がとても冷たい社会です。これは日本が世界最長の歴史を誇っていることとも、無関係ではないかもしれません。
もちろん継続は美徳です。しかし時にはやめることが次につながる手段となることは、前回の記事で紹介しました。
簡単にまとめると、
○やめ時を逃すと、ダメージが深くなる
○やめることを怖れるがゆえに、新しいことにも踏み出せなくなる
○やめる勇気を持つことが、道を切り開く
というものです。
そこでこの本光寺縁切り寺プロジェクトでは、終わらせることを躊躇しない、罪悪感を持たないことを提唱しています。
縁切りの苦手な社会が失う4つの力
やめること、終わらせることが下手な社会では、以下の3つの力が失われていきます。
決断する力
まず第一に、物事を決める力です。例えば何かを選択する時に必要なエネルギー量は、以下の(1)~(4)だと下に行くほど増えていきます。
(1)何もしない(現状維持)
(2)Aを始める
(3)AとBのどちらかを選ぶ
(4)AをやめてBを始める
つまりやめることには、大きな決断エネルギーが必要です。そのため、やめることを出来るだけ避ける社会では、決断する力が育ちません。そして社会全体が優柔不断になっていきます。
変化に対応する力
社会から決断する力が失われると、変化への対応力が失われます。
これは江戸時代のように閉じられた社会では、安定にもつながるものでした。しかし現在のような黒船が定期的に訪れる時代には不向きです。
やめる力を育てることは、変化にも柔軟に立ち向かうことができます。
他人に寛容である力
変化に弱い社会では、他人に非寛容になりがちです。ここでよく言われるのは移民問題です。日本は国際的に見ても、極端に移民受け入れには消極的です。
これは日本人が一律的な価値観を求め、異なる土台を持つ相手との接触を苦手とするためでしょう。
そして移民のような社会的な話ではなくても、日常で接する人とも異なる意見には排他的です。
最近は「多様性」がキーワードになってきています。しかしこの言葉が本当に力を発揮する上で必要なことは「周りと異なる私の価値観を受け入れてよ」ではなく、「私と異なる周りの価値観を受け入れる(あるいは干渉せずに共存する)」ことです。
変化への耐性は違いを受け入れる力でもあり、これが弱いと他人に対して非寛容になります。
孤独を楽しむ力
変化に弱くて他人に非寛容な社会では、同調圧力が高まります。すると何が起こるか。集団から抜け出すことに、罪悪感や戻れなくなる不安が生じてしまうのです。
孤独とは本来、人間を育てる上で大切なものです。しかし孤独を安心して楽しめない社会では、孤立か協調かの二者択一を迫られます。
やめることを選べない社会では、人間自体も未熟になります。
ということで、、、
縁切りにはいろいろな意味がありますが、基本的には今あるものを清算することです。
私自身、サラリーマンを辞めて寺社旅研究家としてフリーになった時は、迷いに迷いました。しかしそこでやめることができたからこそ、今の人生があります。
縁切りをドロドロとしたものではなく、身近でポップなものにすること。そこには社会を変革する力も秘められています。