悪いものと縁を切りたい!…けど、何度切ろうとしても切れない…という人は多いと思います。縁切寺のzyusyokuがそのような縁と距離を置く方法をお教えいたします。
その前に、何度切ろうとしても切れない縁のことを何というかご存じでしょうか。腐れ縁といい、辞書で調べると「離れようとしても離れられない関係。くさりえん。」という説明があり、「くさりえん(鎖縁)」というのがとてもわかりやすい表現です。
まず、縁を切るにも、自分自身のことなのか、それとも自分以外のことなのか、大きく分けると2種類あります。
今回は、自分以外の悪い縁と距離を置く方法についてお伝えします。
毎日ニュースで殺人事件の報道がない日はありません。
近隣者、知り合い、親族、家族、親子…痛ましい事件、見るに堪えない事件ばかりです。
なぜ、そのような事件に発展してしまったのか。
それは、当事者にしかわかりません。
もともとはお付き合いのあるお隣さんだったのかもしれません。
仲のいいお友達だったのかもしれません。
血のつながった親族、愛し合う家族だったはずです。
しかし、何か小さな出来事がきっかけになり、
そのわだかまりが日を追うごとに大きくなり、
それが魔の心を生み出し、
衝動的ではないにしても、命を奪ってしまうことになってしまったのです。
おそらく、途中で、こんな気持ちから解き放たれたい、こんな気持ちを抱いていてはダメな人間になってしまう、忘れよう忘れよう、と思っていたはずです。皆さんと同じように、縁を切りたいと願っていたはずです。
でも、縁が切れない。でも、どうしても切りたい。
そこで、相手がこの世からいなくなれば、縁が切れると一瞬、魔のささやきが聞こえてしまうのです。
今の苦しみから解放されたいがために、相手との縁を切りたいがために、この世からいなくなるように仕向けてしまうのです。
しかし、果たして、これで縁が切れるのでしょうか。
苦しみから解放されるのでしょうか。
答えは… 100%ノーです。
実は真逆で、殺人事件により、相手との縁がさらに深まり、一番強固なものになってしまうのです。
そして、この世だけでなく、来世でも、その次の来来世でも、この縁は決して切れることはありません。
自分で相手との縁を強固なものにしてしまったのです。
では、どうしたら、よかったのか。
それは、完全無視、完全無感情でいることです。
何を言われても、何をされても、完全に無視する、完全に感情に入れないことです。
知らぬが仏。
見ざる、聞かざる、言わざる。
今よりも感情的になればなるほど、悪縁が笑顔になります。
これは試されていると思って、そのお試しにのらないようにしてください。
常に冷静に、無感情でいることがポイントです。
仏教の無。生活のなかに取り入れてみてください。
これが悪縁と距離を置く方法です。